美女と黄金色(こがねいろ)の物語
「ここに人が住んでいるのだろうか」と心の中で二度は問いかけた。
その朽ち果てかけた小さな蔵のある家は、80歳をとうに超えたご婦人が暮らせる家とは到底思えない佇まいであった。
しかし、古い引き戸を開けると「私はお金に好かれているの」とコロコロと笑う、可愛らしいおばあちゃまが出迎えてくれた。
リーマンショックの影響で、世間も私もとても元気のなかった頃の話しである。
資産家だがなかなかアポイントが取れず、ご高齢なので社員の殆どが諦めていたお客様にお会いすることになった。
捕まらない理由は納得の事情であった。
「何か」のご契約を望む業者や銀行が多く、近くの一流ホテルで生活していたのである。
ご自宅には家政婦さんが来る時だけ戻って来るということだった。
しかし、このご婦人は文才に溢れ美しいものも愛する、古き良き時代の大女優のような人でもあった。
ご婦人の写真は今でもよく覚えている。
40歳代の写真よりも、50歳代の写真の方が遥かに美しかった。
ご婦人の若い時代は家が豊かでも、女性に学問は無用と大学より花嫁修業が求められた。
それでもご婦人は大学進学を強く望み、何とか許して頂いたものの卒業後の「見合い結婚」は避けられなかった。
嫁いだ後は長男を大学教授、長女を書道家(素晴らしい作品でした)として立派に育て上げ、ご主人様を早くに見送った。
その後は、好きな小説をのびのびと書く幸せと文学者が集うサークルで遅い青春を楽しみ、投資家としての才能を開花させた心からの充実感が、よりご婦人を美しくさせた。
文学サークルはお子様方が住む東京での活動が多く、数年前にある男性から「人生を終える前にひと目君に会いたい」という文も頂いたそうだ。
「東京でお暮しになればいいのに」と申し上げた所、「家を守る」という昔ながらの使命感がそうはさせないらしい。
そうしてもう一言、「文をくださった方には、美しい私の記憶だけ残してほしいの」とおっしゃったのである。
私の頭の中を往年の大女優「原節子」という名前が走った。
そのことを口にした途端ご婦人は「あら・・」と、その後はいろいろな話しを聞かせれくれた。
しかし、そこには「お金は足りすぎても不自由だなぁ」と思われる内容も多かったが、満ち足りた部分の輝きはうっとりと聞き入ってしまった。
「また会えるといいわね」と優しいお別れの言葉を頂き、私の不思議な時間は終わった。
それから約6年、駅周辺に大型施設が増えその周辺も土地開発ですっかり変わってしまった。
私はご婦人のお宅の近くに出向く機会があり、寄り道をしてみたがすっかり様子が変わりご婦人のお宅はもうそこにはなかった。
「東京でお暮しだといいなぁ」と寂しさと同時にふと浮かんだ言葉がある。
『私はお金に好かれているの』
土地開発での立ち退きで、かなりの立ち退き料が入ったのではないだろうか。
だとすれば、本当にどこまでもお金に愛された方である。
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